ストレスホルモンのうちの一つノルアドレナリンは、注意と衝動性が制御されている生物の脳の部分に影響する。
ーストレスの多い出来事によって動かされた多数の生理学的変化は青斑核と呼ばれる脳幹の神経核の活動で一部解き放たれるー
現在私は精神的にど底辺で、
起きた直ぐに情緒不安定で涙し、生活リズムが崩壊し、腰骨の辺り両側に赤い発疹が出来ており日に日に範囲が拡大し、病院へ行くにも外に出るのが怖く行けず、ただ大きくなる発疹を見て毎日を過ごしております。
何が原因とかは私にとってどうでもよくて、ただ発疹まみれになるのは嫌だな、という気持ちだけなのです。
ひたすらに憂鬱なまま日常を過ごすのは嫌なので、映画というコンテンツに没入している次第です。
映画は良いです。
家に居ながら様々な感情や学びが得られます。
その世界に行けるのです、この主人公はどういう気持ちで、等様々な気付きがあります。
現実逃避にはピッタリです。
映画を見ることが、私にとっては今一番調子が良くなる行動なのです。
さて、私は今考えている事があります。
なぜ虚栄心や承認欲求というものは人を堕落させてしまうのか、という事です。
自らの益のために人を人は蹴落とします。
かと思えば、その対象が自らに有益だと思うと打って変わって扱いが変わります。
簡単に例を述べるとすれば、
「Aは学校でいじめにあっていました。周りの人間は誰一人助けてくれませんでした。しかし、Aが有名になってからと言うもの周りの人間はいじめも無かったかのようにAとは友達だと言い始めました。」
実に浅はかで愚かです。私が嫌悪する人種です。
それで得た自身の地位で悦に浸る心情が全く理解できないです。
今の私にはそれらを行使して得た幸せが解りません。
そもそも、AをAでは無く有名人としか見てない辺りがそもそもイかれてますよね、なんて知能の低い人種なのだろうと思います。
引きます、引いちゃいます。
そうしないと生き残れない世界なんてゴミカスだと思います。
ブランド物や容姿でマウントをとり自己を虚栄する事しか考えてない人間より、たとえ家や僻地でも何処でも楽しみを見出せる人間の方が私は好きです。
あくまでこのブログは私の個人的主観です。
と言いながら、ブロン液を口に流し込み怠惰な生活を今日も送ります。
周りは、私は考え過ぎだと言います
自身の意思とは違っても勝手に自身が考えてしまう場合はどうしたらいいのでしょうか
周りは、まともな生活をしなさいと言います
まともの基準が私には解りません
周りは、働けと言います
私には働く能力が無いと数年前に気が付きました
求人を見るたびに過去の痛みに囚われます
今まで様々な場で働いてきましたが同じ痛みを繰り返しています
周りは、感情を上手くコントロールしろと言います
いとも簡単に言います、私にはとても難しいのです
周りは、もっと頼れと言います
私はそれが怖い、人を信用する事が怖いのです
過去に囚われます、思い出すのです
何もかも詳細に述べなければ誰も私の事を理解出来ません
とても私の内面は複雑なのです
人に見せる私は社交用の私です
私は疲れました
その都度説明するのも、説明する度に自身が痛むのにも疲れました
無意味だとすら感じます
だから備忘録に今この時の私を記します
それが私にとっての今の意義で生きた証です
毎日毎日いろいろな事を考えます
それは苦だけではありません、私を成長させるキッカケでもあります
だけれども考えすぎて頭がおかしくなりそうです
それでも考えが止まらないのです
ある記事で、精神病のない「健常」人における抗精神病薬の投与は、いわゆる統合失調症の「薬原性陰性症状」(例えば情緒と意欲の問題)を生じさせる。というものを目にしました
私は中学の頃初めて向精神薬を飲みましたが何も起こりませんでした、むしろ効きませんでした
ロヒプノール、リフレックス、コンスタン、レキソタン、ワイパックス、サイレース、ソラナックス、今まで飲んできた覚えている限りの薬達、まるで懐かしいです
中学から脳がイかれてやがるのです。
健常的な脳をしていないという明らかなエビデンスです。
光トポグラフィーしもらいたい、いよいよはっきりさせたい。
不明確なのが一番嫌。社会不安障害とパニック障害はあるだろうけれど、あくまで推測なのです。
障害とか言われたく無いよな、個性なのにな、
精神科の雰囲気嫌いなんだよな、なお憂鬱になるから
月曜行けそうだったら皮膚科と精神科行こう、あまりにも酷い
masegoいい声だなあ
同い年なんだもんなあ、すごいよなあ
そんな事どうでもいいや
安心できる居場所が欲しい
アデュー