下品下劣も人の性

私の吐き溜め備忘録

相違

 

 

最近の私は相違に考えさせられている。

悩む程の事柄では無いし、策を打つ迄も無いのだが、嫌に嫌悪してしまう。

別に誰の事でも無いしこれによって勝手に勘繰って勝手に被害妄想起こして面倒臭い事に巻き込むのは勘弁して欲しい。

此処は私の感情の備忘録的な手記なのでいちいちぎゃあぎゃあと喚かれても困るのだ。

 

 

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表面上、上っ面と言うのか、其の様な物と感情が相違している人間が余りにも多過ぎる。承認欲よりももっと粗悪で我欲の塊の様な何かだ。

 

別に欲を持つことは人間として当たり前のことなのだが、純粋な欲とは何か違う気持ちの悪いものだ。

 

そう思われたいのなら、周りの干渉を受けずなりたい自分になれば良いものを何故そうも変に皆隠そうとするのだ。

 

世俗に染まりたく無いなら無いで自我を確と持てば良い。

 

世俗に染まることが心地いいならいいで良いではないのか。

 

違いがあれど好意を抱く人間の数も、嫌悪を抱く人間の数も、興味の抱かない人間の数もさして変わりはしない。

 

大多数の他人に好かれて何が嬉しいのか、所詮は他人。人間だから其の時良い顔をしていたとしても大多数は裏切る。摂理だ。そんなものだ。まやかしなのだ。

 

まあこの様な題材でああだこうだ言っているのも悲しくなる。生きられる時間は限られているのだ。

 

自らが好意を抱いている人間が現在に存在している事が、笑って共に居られることが最大の幸せだと考えているからだ。

 

だからどうでも良い、本当にどうでも良いのだよ。

 

数年後には忘れる様な事を繰り返す時間なんてものは私には無い。

 

ま、でかい口を叩いてはいるが自身は何者でも無いし社会的には最底辺だ。

だからこそ、この様なSNSで戯言を自由に述べられるのだけれども。

 

少数派に憧れを抱く奴は贅沢にも程がある。

多数派に馴染めているのに、それ以上を欲しがる。

何でも持っているのはお前らの方だ。

 

私には何も無い。一握りの大切なものを必死に守ってる。

もう何も壊されたく無いから私は私を守ってる。

私の大切だと思っている事象は全て私の一部として私の中で循環しているからだ。

 

まだまだ知らないことばかりだ。経験していない。

私は雁字搦めだ。このままでは駄目だと、漠然と感じる。

この小さな脳味噌がフル回転をし続ける。

自分の中のフラストレーションを解消する為のツールとして此処はとても優秀だ。

 文字に起こせば、ある程度は脳味噌が整理され淘汰されるのだ。

 

こう述べてはいるが、所詮これも自己嫌悪の一種なのだ。

自らの過去がそうであった為の同族嫌悪だ。

私は私を好きになってきてはいるが、深層心理的にはまだ自身を愛せない証明だ。

 

この先はどうせ長い。

何だかんだ此処まで生き延びているからだ。

死にたくても死ねなかったし、人間としての集団生活で見たら死んでいるも同然だし、何より一回死んでいるのだ。

私は約二年前に一度死んだのだ。そして生まれたのだ。

嗚呼痛い、言っていることがとても痛いのだが事実なので仕方ない。

何もかもを諦め、模範的な人間でいる事を辞めた。

其の時自らは固定概念等に囚われていないと思っていたのが大間違いだったと気が付いた。

一切の精神薬を辞めた。薬の離脱症状は辛かった。

否、そこからは学びの連続だった。そして着実に成長した。

 

私という人間は歪である。

物心付く頃には双極な感情に翻弄され、違いがあるが故多数に嫌悪され、自身を責める事でしか解決法を導けず、恋愛と依存を間違い、希望なんてものが大嫌いなのに希望を持ってしまう、絶望はすぐ側で笑っているのを知っていても尚だ。余りに醜い。

 

醜いが故に努力をした。

容姿、人間関係、言葉の使い方、顔色の見定め、知識、等他諸々出来るところは直した。

ある程度直すと人が集まった。

故に、人が信用出来なくなった。

誰も本当の私なんて見てくれないとなったからだ。分かったんだ。

そんな事をこうやって書きつつも、自身が心を開かずして誰が自身に心を開くのか、という話なのだが。

怖かっただけなのだろうと思う。

 

まあ、よくもこんなに文字を書けたものだなとも思う。

フラストレーションが溜まっていたのだろうな。

 

フィクションとして読んでくれたらな、と思う。

 

暇潰しには他人の不幸が一番だからな。

私は今不幸では無いけど。

自分が今一番幸せだと言えるもの。

 

良い物描けそうなので終わる。